生い立ち日記

生まれた地元が、大切なことを教えてくれた。

祖父が産婦人科医、父が歯科医師の長男として生まれ 1979年(昭和54)2月20日、千葉県千葉市にて歯科医師を営む父・隆世 母・仁子の長男として生まれる。 歯科医師の息子として、地元の人々、患者さまと明るく接する祖父母、両親の姿を見ながら育ち、幼馴染からは、「たかちゃん」「すみちゃん」の愛称で親しまれる。 現在も生まれた町で歯科医師として暮らし、「人と人との距離が近い、地元(千葉市)が大好き」と明言。

▲翠幼稚園のクラス写真(前列右端)

▲祖母と妹と愛犬

学生時代 小学校~歯科大学時代

市川学園(市川高校)に通っていた高校時代、将来の進路を選ぶ際に、政治家か社会科(とくに歴史)の教師を選び、実家を継がせたかった親と大喧嘩。 自分の進路をきちんと決めれず悩む日々、くだした結論は、親の後を継いでまずは長男としての責任を果たすことを決断。 祖父や父と同じ医師・歯科医師の道を選ぶ。 歯科大学に進学。

▲千葉大学附属小学校時代

▲千葉大学附属小学校時代

▲市川学園高等部時代

▲歯科大学時代

口腔外科医時代、大学病院と防衛省にて多くの患者様の治療にたずさわる。

歯科医師の中でも特殊であり外科的な治療を専門とする口腔外科医の道に進む。 そして、大学病院から防衛省 市ヶ谷駐屯地に歯科医官として出向し、貴重な体験を経験する。

実家の鷲見医院に戻る。

実家の医院が古くなり、建て直すことに。それに伴い事業の見直しを行う、今までの内科の医院と歯科医院の経営だけでなく。介護事業も盛り込んだ複合施設の建設を行う。 しかし、銀行から融資をうけれたのはいいが初めて進出した介護分野、当時理事長であった父・隆世は新しい事業の運営に頭を悩まし、息子の隆仁に大学病院を辞めて実家に帰るように言う。 当時の大学病院は、医局員の数も少なく、数人で毎日多くの患者様の対応に追われなかなか辞表を提出しても辞めさせてもらえない状況。 やっと、辞表が認められ父から戻ってくるように言われた約1年後に実家に戻る。

厳しい経営状態。経営・ビジネスの厳しさを痛感する。
そして、祖父から受け継いだ病院を倒産させないように無我夢中で働く。

今までは、勤務医で黙っていても給料がもらえた状況、実家にかえり病院の経営が、想像していた以上に悪く倒産の危機。
とくに新しくはじめたメイン事業の高齢者専用賃貸住宅(現在のサービス付き高齢者住宅)の業績が悪く、入居者様65人満床の所、年間で6人程度の入居者様しかおらず、圧倒的に介護職員の数の方が多い状況。 当時、千葉県で一番最初に高齢者専用賃貸住宅をやり、これに関するノウハウが経営者側で本当に誰もなく、銀行が紹介してくれたコンサルタント会社は顧問料だけ高く、実績を出せずじまい。 まずノウハウを学ぶために、近隣の病院の経営者や介護事業の経営者の方々に電話すると、何人かの経営者の方がお会いして下さり、話に耳を傾けてくれた。
頭を下げて、現在の自分の施設の経営状況を話し施設の見学、営業のノウハウを教えて下さいと懇願する。
すると、何人かの経営者の方が同情してくださり、見学の許可や営業担当者の方を紹介してくれ、いろいろと勉強させて頂く機会を得る。 そこから、経営者としてのマイナスからのスタートがはじまる。

若手経営者としての今。厳しい経営より、多くのことを学ぶ。
そして、もっともっと勉強したく社会人大学院に進む。
人は、人生、死ぬまで勉強。今も学びの途中である。

沢山の困難を乗り越えどうにか実家の事業も軌道にのり、職員の生活を支え、お客様に満足して頂けるサービスを目指し日々精進。介護、医療の現場に日々携わることで、この千葉の医療制度、介護制度、人材不足などさまざまな問題に直面し、市民のための継続的な医療・介護の制度づくりや対応をしたいという思いが芽生え、政治を勉強するために自民党政治塾や大学院に通い政策を勉強する。そして、父より3代目理事長を継承する。

現在は地域ボランティア活動や、
さまざまな経営者団体の役員をさせて頂く機会を得る。

そして、現在は日頃よりお世話になっている地域への恩返し、地域への貢献をしたい強い思いから保護司など多くのボランティア活動に汗をかいている毎日。 また、若手経営者として地域経済の活性化のために経済団体の役員などをさせて頂き日々勉強中である。